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#本 『特別展「茶の湯」』近代数寄者が茶道具を美術品として認知させた 2017-6-10(土) [Art]

本『特別展「茶の湯」』

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東京国立博物館で行われていた特別展「茶の湯」で購入した、本(図録)の解説を読んでいる
「近代数寄者の茶の湯」(P308)として田中仙堂さんの解説が参考になった
近代数寄者とは、益田鈍翁・原三渓・畠山即翁を今回の茶の湯展では挙げている

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明治維新ー近代は変革期であり、社会システムが大きく変貌を遂げた時期である
それによって、大名やそれに金を貸していた大名貸しが没落し
そこの集まっていた「伝来の茶道具」が産業のリーダー達に移動することとなる

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三井物産を創業した益田鈍翁は、海外貿易と総合商社という新たなモデルを創出
「大師会」という美術品を鑑賞しつつ茶の湯を楽しむ園遊会を開催し、政財界の一大社交場を創ることとなる
そこで収集された美術品は、廃仏毀釈の嵐を経験した中で、仏教美術品の海外流出を防ぐ目的も含まれていた

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生糸輸出をし、富岡製紙工場を30年以上に渡り経営した原三渓
絵画を始め美術品を収集し、それを茶会で使っているが、それ以外でも
横山大観や下村観山等、日本美術院の新進気鋭の作家と研究会をしたり、
また岡倉天心からの依頼もあってか、若手作家のパトロンとなって、近代美術の支援も行っている

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舶来品を輸入することから工業製品も、日本は世界水準の技術立国になっていく
その第一線にいた畠山即翁は戦後の大師会を引き継ぐとともに、
自ら美術館を建設し、茶道具コレクションを展示した

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近代数寄者の茶の湯は、
大名などの旧体制から、産業のリーダー達に名物茶道具が移動する過程で
茶道具が美術品として、社会に受け入れられ、広く観賞される基礎を生み出したということになる

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原三渓は、流儀の自由で、好きなように茶会を演出していたようだ
私自身も、自分で創作したものを飾って
客人を自分なりの趣向でもてなしていきたい